≪聖書日課≫

 

15日(月) 

申命記4章5~8節 【近くにおられる神】 

モーセは、ヨシュアに率いられてヨルダン川を渡り、約束の地に入って行こうとするイスラエルの民に、シナイ山での律法授与について語ります。そして、その掟と法を守り行うことを命じています。主の戒めに聞き従うことが、イスラエルに命じられている事柄なのです。律法の掟と法に耳を傾け、それを忠実に守り行うことによって、周囲の諸国の民にイスラエルの知恵と良識が示されるのです。 

ヤーウェの神、主は生きておられます。いつ呼び求めても近くにおられ、助けを求める民の叫びに耳を傾け、救いの御手を差し伸べてくださるのです。 

 

  16日(火) 

歴代誌上15章16~24節 【アラモト調による琴の音】 

ダビデは、イスラエル十二部族すべてからイスラエルの王として推挙されました。エブス人の町エルサレムを陥れ、そこを都と定めました。ダビデは、キルヤト・エアリムのアビナダブの家にあった神の箱を、牛車でエルサレムに運び込もうとして、ウザが箱に手を伸ばして押さえたため、彼は神に打たれました。 

そんな事件の影響で神の箱の移動は遅れ、三カ月後に、ダビデはレビ人たちに担がせて、再度、神の箱をエルサレムに運び込ませます。ダビデはレビ人の長たちに命じて、詠唱者であるその兄弟たちを任務に就かせ、琴、竪琴、シンバルなどの楽器を奏で、声を張り上げ、喜び祝うようにさせました。 

 

  17(水) 

詩編23編1~6節 【災いを恐れない】 

古来、イスラエルの民は、ヤーウェの神とイスラエルの関係を羊飼いと羊の群れになぞらえて、言い表してきました。無力な羊の群れは、外敵から身を守る術がありません。自力で生きて行くこともできません。羊飼いに守られて、羊は安心して草をはみ、のどを潤すことができるのです。 

神は私たちを神の客人として、神の食卓に招いてくださるのです。神は私たちの再度、頭に香油を注ぎ、良いぶどう酒でもてなしてくださいます。そのような神の守りと導きは、私の生涯を通して約束されています。私が息を引き取る日まで、何ものも神の恵みと慈しみから私を引き離すものはありません。 

 

18日(木) 

詩編142編1~8節 【避けどころなる神】 

一人の見捨てられた人の深い嘆きが、神の御前に注ぎ出されています。不安におののき、孤独にさいなまれる魂の悲痛な叫びです。抵抗する力が萎えてしまいそうな今,この信仰者は自分の進み行く道が神に知られていることを知っています。しかし、その道には罠が仕掛けられているのです。助けてくれる友もなく、孤立無援の中で、彼はひたすら神に寄りすがります。主なる神こそが唯一の避けどころなのです。 

自分自身の力では、強力な敵対者に立ち向かうことはできません。彼の魂は枷(かせ)に捕らわれています。そこから引き出してくださることがおできになるのは、主なる神のみです。 

 

19日(金) 

エゼキエル書47章1~12節 【命の泉の流れ】 

エゼキエルは今、青銅のように輝き、手に麻縄と測り竿を持つ御使いのような一人の人から、幻の内に新しい聖地を案内されています。水が神殿の敷居の下から湧き上がって、東の方に流れています。水は祭壇の南側から出て、神殿の南壁の下を流れていました。その人が手に持つ測り縄で一千アンマずつを測って進むと、次第に水量が多くなり、遂には大きな川となりました。 

この聖なる水は汚れた海を浄化し、群がる生き物を生き返らせ、川岸に生える果樹を養い、月ごとに実を結ばせます。その果実は食用になり、葉は薬用となりますが、その沢と沼はきれいにならず、塩を取ることができます。 

 

20日(土) 

ヨハネ黙示録22章1~5節 【命の水と命の木】 

ヨハネは今、天使の案内で、神と小羊の玉座から流れ出て、水晶のように輝く命の水の川を見ています。新しいエルサレムには神殿がありません。神と小羊が神殿だからです。川は、都の大通りの中央を流れています。川の両岸には命の木があって、年に12回実を結び、毎月実をみのらせます。そして、その木の葉は諸国の民の病を治すのです。 

新しいエルサレムでは、神の僕たちが神と小羊の玉座のみそば近く礼拝し、御顔を仰ぎ見ています。彼らの額には、神の名が記されています。もはや夜はなく、ともし火の光も太陽の光も必要ありません。神である主が僕たちを照らし、彼らは世々限りなく統治するからです。 

 

  21日(日) 

詩編46編1~12節 【周りぐるり守られて】 

宇宙の生成と消滅が、大胆な言葉で歌われています。すべては神の支配の下にあり、新天新地の出現が期待されているのです。神の都を流れる川は、実りを約束し、祝福と喜びを与えます。神が共にいてくださいますから、神の都は安泰です。都を襲う外敵を、神は御声をもって撃退されます。地上の争いは断たれ、武器はすべて焼き払われます。終末的な平和がもたらされるのです。神の支配が行き渡り、神の国が成就するのです。 

世界の完成は神の平和の中にあることが告げられています。神御自身が自らを啓示され、御自身に栄光を帰されることこそ、あらゆることの究極の目的なのです。