≪聖書日課≫

 

18日(月) 

ヨハネ福音書11章1~16節 【ベタニア村のマリアとマルタ】 

ベタニア村のマルタとマリア、ラザロ姉弟の家は、主イエスがエルサレムに来られた時の宿舎にもなっていたようです。病気のラザロのことが、主イエスに伝えられます。どうしたことか主は、急ぐようでもありません。このことを通して、神が栄光を受けられるというのです。三日目に主イエスはラザロの家を訪ねようとしますが、弟子たちは主イエスの身に危険が及ぶことを案じ、躊躇しています。 

眠っているラザロを起こしに行くと告げられる主に、弟子たちはラザロの死を思い浮かべることはできません。その弟子たちに主は、はっきりとラザロの死を告げられます。 

 

  19日(火) 

ルカ福音書8章1~3節 【婦人たちの奉仕】 

主イエスは病人をいやし、汚れた霊を追い出し、12人を選び、神の国の奥義を宣べ伝え、やもめの一人息子を生き返らせ、罪深い女を赦し、12人と一緒に旅を続けられます。主イエスの一行には、マグダラのマリアはじめ、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、スサンナなど、多くの女性たちが同行して、身の回りの世話をしていました。 

当時のユダヤ教では、女性たちにはいろいろな宗教的義務もなく、子どもと同じように低く評価されていました。公の場で女性と話をすることさえ、白い目で見られた時代です。それゆえ、主イエスの集団で女性の活躍が目立つのです。 

 

  20(水) 

マタイ福音書6章25~34節 【思い悩むな】 

富は、生活の基盤を支える大事な要素です。しかし、そのために何が何でも富を得なければ、と思い込むことによって、思い悩みは尽きることがありません。主イエスは、そのような思い悩みの罠に捕らわれてしまうことから、私たちの思いを引き離してくださいます。 

空の鳥は種をまかず、刈り入れもせず、倉に納めることもしませんが、神は養ってくださいます。野の花は働きもせず、紡ぎもしないのに、神はきれいに装ってくださいます。空の鳥も野の花も、神に全面的に信頼して生きています。求めるべきは神の国と神の義です。明日のことを思い悩むことはありません。 

 

21日(木) 

ルカ福音書8章11~15節 【人生の思い煩いのなかで】 

種を蒔く人のたとえで、種は神の言葉です。道端のものとは、御言葉を聞くが、信じて救われることがないように、悪魔がその人の心から御言葉を奪い去る人たちのことです。石地のものとは、御言葉を聞くと喜んで受け入れるが、根がないので、しばらくは信じていても、試練に遭うと身を引いてしまう人たちのことです。茨の中に落ちたものとは、御言葉を聞くけれども、途中で人生の思い煩いや富や快楽に覆いふさがれて、実が熟するまでに至らない人たちのことです。 

良い土地に落ちたものとは、立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人たちのことです。 

 

22日(金) 

詩編27編1~6節 【ひとつのことを主に願う】 

迫り来る試練を前に、この信仰者は、主なる神への全幅の信頼を告白してやみません。主はわたしの光、わたしの命の砦です。敵対する者が迫って来ようとも、不安や嘆きの言葉は聞かれません。かえって、敵の方こそよろめき倒れるであろうことが宣告されています。彼の心を占めているのは、ただ一つの願いです。神との絶えざる命の交わりがそれです。それは神礼拝の場に限りません。命のある限り、主の家に宿り、主と共にあることなのです。 

信仰者は、災いの日にも神の庇護のもとにかくまわれていることを知っています。仮庵や幕屋、岩がそれを表しています。たとえ敵に囲まれても、彼は賛美の歌をうたうのです。 

 

23日(土) 

Ⅰペトロ書4章7~11節 【賜物を生かして互いに仕えよ】 

「万物の終わりが迫っています」という言葉は、初代教会の緊迫した終末意識を物語っています。そのことを踏まえて、キリスト者の生き方が示されています。それは、思慮深くふるまい、身を慎んで、よく祈り、何よりもまず、心を込めて愛し合う、という生き方に現れています。一人一人は、それぞれ神から賜物をいただいています。それは、その賜物を用いて教会が豊かにされ、整えられて行くことを目指しています。 

キリスト者のすべての行動は、イエス・キリストを通して、神が栄光をお受けになるためです。それが、神のさまざまな恵みの善い管理者としての務めです。  

 

  24日(日) 

ルカ福音書10章38~42節 【取り上げてはならない】 

ベタニア村のマルタとマリアの家は、エルサレムに上京したときの主イエスの活動拠点の一つです。ヨハネ福音書11章では、墓に葬られたラザロを生き返らせておられました。今、マルタは主イエスと弟子たちをもてなそうと、かいがいしく食事の準備に取りかかっています。一方マリアは、主の足もとに座って、主イエスの話に聞き入っていました。業を煮やしたマルタは主イエスに、マリアにも手伝ってくれるように忠言してください、とお願いしています。 

しかし主はマルタに、「必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない」とお答えになられました。